独り言(コラム)」カテゴリーアーカイブ

「にらみを利かせる」ことの大事さ

今日の夜、帰宅しようとマンションの入り口に向かうとパトカーが赤色灯をクルクル回して停車していた。
一か月くらい前に不審者がマンションに入り込んで何かをやらかしたとのことで、それ以来パトカーが赤色灯をつけて警戒してくれるようになった。
夜遅い時間に赤い光がクルクル回っていたら誰でも「あっ、パトカーがいる」とハッとする。ましてやこれから人を襲おうと思っている不審者は人一倍ドキッとするから悪行を働かなくなる。
警察は防犯のプロである。一番防犯に役立つ方法を実行しているのだ。

教室現場も同じだと思う。
自習中に隣の子とおしゃべりをしてしまっている子。
この子たちを見て即、
「こらーっ!」
と叫んではいけない。
その子たちの視界にわざと入っていき、その子たちが気づきを促し、「私たち何もしてませんでしたよ」という体にさせて勉強に戻させる。
これが大事である。
彼らは自分たちが良くないことをしているのをわかっている。だから先生の姿を見た瞬間「あっ、叱られる!」と思って即座に態度を翻すのである。
ただ、先生に叱られて勉強に向かうのと、自分で気づいて勉強に向かうのとでは勉強に対する姿勢、理解度が全然変わる。
もちろん先生が叱らなければならない場合だってある。
しかし、先生はなんでもかんでも叱ればいいのではなく、にらみを利かせることを知るべきである。

もちろん、先生の目がなくなると、子どもたちっはすぐにおしゃべりを再開するのは目に見えているのだが、そうしたらまたにらみを利かせにいくのだ。
それを何度か繰り返すと、子どもたち自身が自ら気づくようになってくるのである。

「にらみを利かせる」というのは相手の気づきの上になりたっている方法なので、教育的にも防犯的にもとても大事なな手段だと思う。

塾の楽しさとは?

こんにちは。「中学受験国語 鍛錬道場」です

 

「なぜ子どもたちは塾に通い続けられるのか?」

「なぜ子どもたちはこの厳しい中学受験を乗り越えられるのか?」

 

それは楽しいからです!

楽しいと言っても、先生の冗談話を聞くのが楽しいとか、友達とのおしゃべりが楽しいとか、そういうのを楽しいと言っているのではありません。

 

 

「読んだらわかる」

「やったらできる」

「できたらほめられる」

「次もやりたい」

「また来たい」

 

もしくは、

「森本哲郎を読んだら、世界中を旅してみたくなった」

「向田邦子を読んだら、親子の情がわかった」

「重松清を読んだら親のつらさがちょっぴりわかった」

「芥川のトロッコを読んだらいつのまにか「良平」になりきっていた」

 

こういうのが本当の楽しさでしょう。

こういったことを先生や仲間たちと共有できる。それが塾。とても楽しいひとときだ。

 

塾は義務ではない。本当は行かなくたっていいところなのだ。

 

お子さまは楽しめていますか?

お子さまの小学生時代の貴重な時間。今の塾を見直すことでお子さまは本当の楽しさを見つけられるかもしれません。

 

和田秀樹さんもこうおっしゃっていました。

「中学受験は親で決まる」

と。

ちょうど年度の変わり目。お子さまに合った塾を探してみるのもいいかもしれません。

 

親子で未知の世界に行ってみる。
そこにはお子さんが笑顔になれる場所があるはずです!

 

 

 

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楽しくなければ塾じゃない!

こんにちは。「中学受験国語鍛錬道場」です。

 

「塾に行きたくない」

 

子どもがこう言っている、というご相談をいただきました。

この言葉だけを聞くと、

「ああ、勉強したくないのね」

と大人は思います。

 

「何事も我慢が大事。がんばって行きなさい」

と言ってまた送り出します。

 

ただ単に勉強したくないだけだったら子どもが悪い。

でも、その原因が塾にあるとしたらどうですか?

 

 

「塾ではただひたすらよくわからないことをやらされているだけ」

「授業が全然わからない→友達とおしゃべり→先生に叱られる→だまる→授業がわからない→ …この繰り返し」

「問題を解いて答えを見せるとバツをつけられて、また解き直して持っていくとバツをつけられ、結局わからないまま終わる」

 

たしかに、子どもが文章を自力で読み、解き、正解するまでひたすら解き直しをするのは力をつけるために有効な方法だと思います。

 

ただ、これにはある問題があります。

 

それは、時間が異常にかかるということです。

 

もしこれが老後の生涯学習をやっています、というならいいでしょう。

しかし、受験勉強をしている子どもたちにはタイムリミットがある。

 

6年生の2月1日。

彼らに残された時間は、

4年生なら3年間、

5年生なら2年間、

6年生なら1年間。

 

 

この限られた時間の中でどうやって子どもたちの力を高めるのか。

これが塾の先生の使命である。

にもかかわらず、それを知ってか知らずか、ただひらすら読ませ、解かせ、違っていたら無言で突き返す。

しかもふんぞり返って。

 

 

これって何なんですか?

 

もし先生が、

・子どもにやらせる問題をすべて解き、把握している

・この子がどこでどう躓いているのかを予測している

・次どういう手を打つかまで考えている

・授業終時間まにどう収めるかを考えている

・家庭学習課題をどうするかも用意している

というのならまだいいでしょう。

もし、先生が上記のことを考えずただ突き返しているだけなら単なる怠慢です。

 

 

塾は子どもたちに(親に)とって最後の砦なのです。

塾でわからなかったら、後は泣き寝入りするしかないのです。

学校はつまらなくても義務だから行くしかない。

しかし、塾は違います。

なぜ行くのか?

楽しいから行くのです。

「楽しくって次も行きたい」と思うから塾に行くのです。

楽しくなければ塾じゃない!

そう思いますがいかがでしょうか。

『どうしたら難関校に合格できる?2』

こんにちは。「中学受験国語鍛錬道場」です。

 

では、どうすれば千里眼を持った先生に出会えるのでしょうか?

それは、取材して評判を聞き、あらゆる塾を試してみることしかないでしょう。

しかし、そんな時間とエネルギーがある人はいないはずです。

 

これと似たようなことは「どんな勉強をしたらいいのか」ということにも言えます。

国語にしても算数にしても、解けない問題があります。

本来はその問題をお子さんが何時間かけてでも自力で解けるまでうんうんうなって取り組むべきなのですが、そんな時間とエネルギーがある子もいないはずです。

 

つまり、結局は「時間」なのです。

 

時間をかければいい先生も見つけられるし、問題もいつかは解ける。

しかし、そんな時間はどこにもありません。

 

この時間を節約するために、教材があったり、塾があったり、専門家がいたり、ウェブがあったりするのです。

これらのもの(人)を使わない手はないのです。

というか、使わなければ難関校に合格することは難しいです。

 

そこでまた重要なのがどんな教材、塾、専門家を選ぶのかということです。

 

これらの選択の一つ一つを丁寧にやっていくことでお子さまの合格は大きく変わってきます。

最後は親御さんがご自身の目で見極めていくことだと思います。

「わたしにそんなことできるかしら」

と思うかもしれませんが、やるとわかります。こんなにも違うのかと。

 

「高校・大学受験は本人の受験。中学受験は親子の受験」

と言いますが、まさにその通りです。

 

難関校受験を親子のいい思い出にしましょう!

 

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『どうしたら難関校に合格できる?』

こんにちは。「中学受験国語鍛錬道場」です。

 

「どうしたら難関校に合格できるのでしょうか?」

 

こう聞かれることがよくあります。

そういうときはこう答えます。

 

「『うちの子には無理』を捨てましょう」

 

と。

本当はいろいろな答えがあるのですが、あえて一つ言うならこれになるかと。

 

2016年度中学入試もほぼ終わろうとしていますが、

「うちの子は100%難関校に合格できる」

と自信満々に思っていた親御さんが世の中にどれだけおられたでしょうか。

ほとんどいなかったはずです。

みんなドキドキだったはずです。

どんなにできる子の親御さんでも心配ですし、あまりできない子の親御さんならなおさらでしょう。

 

しかし、結論から言いますと灘、開成、桜蔭、聖光、フェリスといった難関校に合格する可能性はどんな子にもあるのです。

ただし、スタートが遅くなるにつれその可能性は激減していきます。

逆を言うとどんなお子さんでも小4までに受験勉強をスタートすればかなりの可能性があると言えます。

どんな子にも可能性があるのに親御さんの取り組みひとつで大きく変わってしまうのです。

 

けっして幼い時からお子さんを受験勉強漬けにしたいのではありません。

小4までなら人から教わったことを素直に受け入れられるということなのです。

「9歳の壁」という言葉がありますが、現場で教えていると実感として感じるのです。

5年、6年になるにつれて子どもたちの頭が固くなっていくのが。

そして、間違ったやり方を習い続けていると後々なかなか治りにくくなってしまうのが。

 

正しいやり方ということが前提になりますが、人から教わったことを素直に受け入れられると、その子はその後加速度的にできるようになるのです。

 

このときに注意しなければならないのが、

「誰に教わるか」

とです。

 

6年生の2月に難関校の合格を見据えて、今何をしなければならないのかがわかっている専門家(教師)に教わらないとお子さんは伸びません。

難関校合格で一番問題なのはここだと言っていいでしょう。

ということは、難関校合格を見据えてお子さんを導ける人(千里眼を持った人)が誰かを探すということが難関校合格にとって最も重要ということになります。

 

では、いったいどうしたらいいのでしょうか。

 

 

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国語の成績を上げるには?8

「受験生なのになぜ授業中に立ち歩くのだろう?」

週一回受け持っている、とある小学校の中学受験クラスのフォローアップ授業でのこと。
授業中に勝手に立ち歩くわ、ふざけあいをするわ、幼稚園児のようなじゃれあいをするわで、ちょっとした学級崩壊状態。テキストの随筆文を落ち着いて読むなどということからはほど遠い状態で授業しています。
やっと授業に集中し始めたかと思いきや、みな一様に背中の筋肉を失ったかのようにグニャっと体をくねらして机に突っ伏している。
勉強のできない子ってどうしてみな一様にこういう姿勢になるのだろうか。
あと一週間で帰国生入試。2月1日まであと60日!
正直あきらめに近い心境になっています。。
今年の3月から受け持ったクラスなのですが、入試直前になれば自然と受験生らしくなるだろうと思ってていたら大間違い。
それにしてもどうしてこうなってしまったのか。
子どもがもともとこういう子だったのか??

違う!

大人がこういう風に育てたのだ。
相手が子どもだと思って、いい加減に対応している大人が多い気がします。

「子は親の鏡」
というが、
「子は大人の鏡」
である。

ちなみに彼らがまだ4年生以下であればまだ直せる。
しかし、6年生、それも12月ではもう正直手遅れだ。

中学受験大手塾においても4年生までに入塾すれば不得意科目も克服できるし、入試が近づくにつれ立派な受験生になれる。
しかし、5年からだとすでに手遅れの子も出てくる。

「9歳の壁」
という言葉をご存じでしょうか。
子どもは9歳を境に自己中心から他者理解ができるようになるといわれています。
たとえば、授業の様子を見ていても4年生まではみな先生に自分の話を聞いてほしい一心で先生に向かって発言し、他の子の発言は聞かない。しかし、5年生になると他の子の発言も聞き、それを自分のなかに取り入れ、ときには議論することもある。
休み時間も4年生までは各自が勝手な振る舞いをしてまとまらないことが多いが、5年生からはお互いに関わり合って、ひとつのクラスとしての雰囲気が出来てくる。さらに6年生になると単なる遊びなかまではなく勉強を教えあえるようにもなる。

ということで、中学受験をするなら4年までに中学受験専門塾に入塾することをお勧めします。
頭の柔らかさも4年生と5年生とでは違ってきます。
大まかに言うと4年生までは習うものがみな初めてで乾いたスポンジが水を吸収するがごとくスッと理解できる。しかし、5年生になると学校やら他塾やらで何かしら習ってきて自分流ができていたり挫折した傷をもっていたりして、スッと吸収することができない。

物事にはタイミングというものがあり、それを過ぎてしまうとなかなか取り返しがつかないということがあります。

「子は親の鏡」
このことを忘れずにいたいものです。

国語の成績を上げるには?9

「痛い、痛い、痛い!!」
かつてないほどの痛い思いをしたお話です。

学生時代にスキーで転倒し、両足の親指の爪が剥がれ、それ以来強度の巻き爪になってしまい爪の端が肉に食い込み痛み始めました。
まず近所の皮膚科に行き、他に何軒か行きましたが、どこも一様に
「手術の必要がある」
とのことでした。
どうしても手術が嫌だったので(大袈裟に言うと心の中の自分が嫌がっていたので)、自宅から一時間かかる都内の巻き爪を専門にしているクリニックに通うことにしました。
ここは爪の両端に小さな穴を開け、形状記憶のワイヤー(1本4000円!)を通して巻いている爪を平らにしていくという治療をしてくれるところなのです。
それより何より、とにかく早く直したい一心で時間がかけられなかったので、ウェブの検索で一番目立つ広告のところにしてしまったというのが正直なところです。おまけに雑誌にここの先生の記事が結構載っていてるらしく、「ここなら大丈夫だろう」とつい食いついてしまったのです。
ただ不思議なのがいつ行っても空いているのです。

ここで気づけばよかったのですが。。

先生は30代くらいのスマートでおしゃれな感じの男の人でした。
雑誌の写真では満面の笑みなのに、実際の診察室では常に眉間にシワを寄せて神経質な感じに見えました。
あと、気になったのが、こちらがいろいろと質問しても黙ったままで答えてくれない場合が多く、ちょっと変だなとは思いました。しかし他に行くところもないので通い続けました。自由診療なので一回につき、7~8000円かかるので決して安くなはないし、遠いから時間も交通費もかかるのですが。
5回目の診察のときです。
素人目にも爪が平らになってきたので
「これで治療は終わりですよね?」
と聞いたら、
「いや、あと2回は通ってもらわないと」
との答え。
そして、その後、せっかく肉より伸びてきた爪の端を小さなはさみでちょきんと一、二回切りました。

「なぜせっかく伸びてきた爪を切るのだろうか」
と疑問に思いましたが切った爪は取り戻せません。
再びワイヤーを代えられ、会計して帰宅しました。
すると、2日後爪が再び肉に食い込み痛くなり、その後まもなく夜に眠れないくらい痛くなりました。そこで見てみると親指の端の肉が大きく盛り上がり、食い込んでいる部分から血が出てとても醜い状態になっていました。
あわてて朝一番でクリニックに予約を入れ、診察してもらうことに。

「こんなになってしまったのですが」
と見せると、
「状態が悪くなったらすぐに言ってくださいね。すぐに診ますから。ああ、これね。これ『陥入爪(かんにゅうそう)』です。治したければまた別の治療が必要になります。やりますか?」
といつもより饒舌な感じで言われました。
こんな風になってしまったのは他でもないこの医者のせいではないか!この人にまた診てもらうというのはおかしすぎる。
「とりあえず様子を見させてください」
と怒りを抑えて出てきました。

しかし、
「やっぱり文句を言おう」
と怒りを覚えながら受付に行くと、いつも女性スタッフが一人しかいないところに、4人のスタッフが勢揃いした上に妻の副院長までいて、しかもなぜか体格のいい馴染みの患者らしき男まで受付にいる。その者どもががやがやみんなで楽しげに盛り上がってしゃべりまくっている。そんな中でいつも通りの会計をされ、追い出されてしまった。

「これは医療過誤ではないか」

帰宅後、ふつふつと怒りが込み上げてきて、消費者センターに電話するも
「証拠がないのでお話を聞くことしかできません」
とのこと。
では、このクリニックが載っている口コミサイトに投稿してやろうと入力したものの、どうやってもアップできない。

このクリニックはとにかく回数を稼いで、最後は悪化させて、それでまた稼いでということをやってるのだ。

悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
「今までの時間とお金を返せ!あと健康な指を」

そうはいってもこのままでは生活に支障をきたすだけ。
もともとどこで治したらいいのかわからないところからスタートした今回の事態。
本当に治るのかどうか、治してくれる医者があるのかどうか、探したはいいがそこが信頼できる医者なのかどうかわからない。でもやるしかないので再び医者探し。

たまたまウェブで郊外の総合病院の内科医の先生が爪も診ているという記事を発見し、とりあえず行ってみた。

事情を話すと、
「これは放っておいたらずっと痛いままですよ。肉と爪の間のギザギザを取り除かなければ」
とのこと。
そこで、爪と肉の間にピンセットでガーゼを入れ、爪と肉の間にハサミを入れてそのギザギザをとる処置をするが、どうするか、とその場で言われました。

正直嫌です。そんなもの。ですが、今やらなければなにも変わらない。
ということでやってもらいました。

「痛い、痛い、痛い!!」

診察室の外まで絶対聞こえていたはず。麻酔注射をしたものの場所が場所だけにあまり効かない。指の先は神経が集中しているのでこの上ない痛さ。これを言わずにはとてもいられない。
こんな痛い思いはしたことがありません!

ある意味偶然でしたが、なんとか最後は良心的なお医者様に出会え、今、指はほぼ完治しています。

(ちなみに、今思い出しましたが、ここにたどり着く前にも一軒一ヶ月くらい通った医院がありました。その先生は悪い人ではなかったのですが、今から考えるとお門違いな治療をしていました。ただ、ひとつ言えるのは「うちでは治せない。他を当たってくれ」とはっきり正直に言ってくれた医者はいなかったということです。)

なぜこんな話をしたのか。
塾も一緒だということです。

塾もピンキリ。海千山千の世界。
どこに通うか、誰に習うかでお子さんの伸びは全然変わってきます。
いい塾、いい先生を探すには手間は惜しまないことです。
できるだけ通っている人から評判を聞き、実際に室長、授業担当者と話し、面談し、体験授業に参加してみる。
こうしたことを何回か繰り返し、さらに何軒か繰り返す。こうしてお子さんにあった塾を探す。

これは非常に手間のかかることではありますが、ぜひやっていただきたい。
どこに通うかでお子さんの学力の伸びは俄然変わってきます。

先の都内の爪のクリニックの医者のようにこちらの質問に答えないのは言語道断。
親切な塾、先生はそんなことするはずないですし、その場の先生や生徒の雰囲気からも察知できるはずです。
とにかく現場に足を運ぶこと。
お願いすれば授業担当の先生にも会わせてもらえるはずです。
同じ看板を掲げる大手塾でも校舎によって対応も授業も変わります。
大手の看板だからといってどこでもすべて均一ということはありません
何も調べずに入れるのは危険です。
どこで学ぶか、誰から学ぶかでお子さんの伸びは決まります。
必ず事前の下調べをしましょう。

入試までの時間は限られています。
「最初に」どこの塾、誰にお世話になるのかが肝心です!

一回入ってしまったあとに転塾するのは大変です。時間が経てば経つほど面倒で難しくなってきて、時間もどんどん経ち、お子さんの頭の柔軟性も損なわれてきます。

「孟母三遷」といいますが、早めにお子さまに合う塾を見つけてあげてほしい、というのが正直なところです。

小学生にディベートさせることについて

「日本人は自分の意見が言えない。ディベートも苦手ですね」
「あなたの意見は、と聞かれるとみんなきょろきょろして、自分ではないだれかに答えてもらおうとします」

あるセミナーでパネリストを務められたフランス人女性の言葉です。
この女性は名門ソルボンヌ大学卒で、日本の大学でも教鞭をとられていた方です。

こうした問題を解決すべく日本の小学校でもディベート授業を取り入れているところが増えています。
ある大手中学受験塾でも生徒にディベートをさせ、自分の意見を書かせることを中心にした授業を展開しています。

もちろん、それはそれで大事なことです。小学生時代にディベートする経験は必要でしょう。
くだんの大手塾のディベート授業を見たことがあります。
たしかに最初の方は意見を言う子もいますが、なぜそういう考えになるのかの理由がなかったり、時間が経つにつれ単なるおしゃべりになってしまっていたり、ということが多い。

なぜこういうことになってしまうかというと、子どもたちにはまだ知識、経験が圧倒的に不足しているからです。
ディベートのテーマとして「地球温暖化問題」がありますが、子どもたちはすぐに「二酸化炭素が減るように植林を増やせばいいと思います」とか「みんなが自動車に乗らないようにすべきだと思います」などと言います。たしかにその通りなのですが、それが現実になぜできないのかの理由までは語れません。
これらについて語るには相当な知識が要求されます。

それに対して「いじめ問題」は子どもたちにとって非常に身近で深刻な問題なだけにさまざまなケースや意見が出ます。生々しい、いじめの実情については、子ども方が大人よりもくわしい。
こうしたテーマだと、彼らのディベートもかなり実のあるものになります。

ただし、自分の意見をいったりディベートしたりするには、その件についての確固たる知識が必要です。

また、小学生たちの授業時間には限りがあります。自分の意見やディベートに時間を割いた分、教科の知識修得に割ける時間も減ることも忘れてはいけません。

先のフランス人パネリストの女性はこうも言っていました。

「日本人は先進国の中で最も自国のことをよく知らない民族」
「歌舞伎や相撲について興味がなくても、日本人なら外国人に簡単に語れるくらいにはなっていてほしい。外国人はみな日本のすばらしい文化について知りたがっているのですから」

自分の意見やディベート力ももちろん大事ですが、まずは自国の歴史や文化、そして、それを語るための知識を身に付けることの方が優先ではないでしょうか。特に小学生時代は。

人間、アウトプットばかりしているとしていると中身が枯渇してきます。
インプットが十分にあるときに良質のアウトプットも出てきます。

「ディベート授業を(とにかく)やっている」ことが大事なのではなく、
「ディベートができるだけの知識の修得」に努めているかが大事なのではないでしょうか。

ディベートは小学生には早いと思いますが、いかがでしょう。
お子さまの塾選びの際にぜひ気を付けていただきたいと思います。

小4までに始めましょう

「ZZZ・・・」
「ZZZ・・・」

一対一の指導中、その男の子は眠ってしまいました。

「おい、聞いているか!」
大きな声で言うと、パっと起きる。
しかし、またしばらくするとまぶたがスーっと閉じていく。
「もう無理」という感じ。
文章の内容がわからないと無性に眠くなるんですね。
読んでいるつもりでも実際には眠ってしまっている。

「やさしさを受け取った者は感謝しなければなりません」
「それが不自由というものです」
「自由には常に責任と厳しさが伴うのです」
今回の長文は論説文。
物語と違って筆者の抽象的な概念を読み取らなければいけません。
この子にとってこれ以上の子守歌はありません!
読んだら即「ZZZ・・・」。

正直、このとき思いました。

「この子が4年生だったらなあ」

この子は今6年生です。中学入試まであと30日を切っています。
ここから論説文を攻略するのは正直厳しいです。

一方、
「この子を何とかしてあげたい」
という思いも当然あります。
そう思えば思うほど、

「この子が4年生だったらなあ」
と思ってしまうのです。

それはなぜか?
4年生ならまだ頭が柔らかいからです。

4年生だと「論説文は嫌だ」というバリアがまだそれほどないのです。
それよりも、未知のものへの好奇心の方が強い。
いわば「白いキャンバス」みたいなものです。
どんなものでも受け入れられる体勢があるのです。
ただし、そこで面白くない文章を読まされたり偽物の教育を受けたりすると、強固な「論説文嫌い」が出来上がってしまいますが。
逆にこのタイミングで良文に出会えたり、良師に出会えたりすると、抽象概念を受け入れ、そこから自分で考えることができるようになり「後伸び(あとのび)」も大きくなってきます。

では、この男の子は一体どうなるのですか?
答えは
「それでもやる!」

一番頭の柔らかい時期は過ぎてしまいましたが、でもこの子にとっては「今日が一番頭が柔らかい日」ですし入試までとにかくやるしかないからです。

ということで、お子さんがまだ4年生以下の親御さんへ、
「小4までに中学受験教育を始めましょう!」

なぜ中学受験なんかするのか

こんにちは。「中学受験国語 鍛練道場」です。

「なんでわざわざ中学受験なんてするんですか」

こう聞かれることがあります

おそらく世の保護者は
「子どもをいい中学に入れて難関大学に入れるため」
「いい教育を受けさせるため」
などと考えておられるかと思います。

もちろんこれらは大きな魅力です。手に入れて損はないです。
でも、中学受験指導をしてきて気づいた一番の効用は

「小学生時代に子どもが勉強するようになる」

ことではないかと思っています。

人間、締切がなければ何もしない。だから、試験がなければ勉強もしない。
これを逆にとらえると、中学受験は子どもに思いっきり勉強させるきっかけになるということです。
小学生時代に思いっきり勉強すること。
この大事さは大人になってから気づくことです。

私は中学受験をしませんでした。
中学受験なんかしなくても小学校は進級できるし、中学校にも入れる。
だから、時間があればテレビを見るか自転車を乗り回すかのどちらか。

「のびのびと遊べてよかったじゃないですか」

と言う人もいるかもしれませんが、正直何のメリハリもありませんでした。
自分で何をすればいいのかわからないから、とりあえずテレビを見たり自転車に乗ったりしていただけ。他に何をすればいいかわからなかったからやっていただけで、これらにやりがいはありませんでした。

「なぜ何もしていないのに4月になると学年が上がるのか」「なぜ6年生が終わると中学に入学できるのか」
本当にわからなかった。

「中学受験」というと、
「子どもがかわいそう」
「子どもは自然のなかでもっとのびのびと遊ばせるべき」

こういった声があります。

でも、受験勉強には目的があります。
目的に向かってひたすら自分を鍛える。
そして目標を達成したときには充実感がある。
さらには志望校に合格する喜びや学歴も手に入れられる。中学受験をしてきた人たちはこのことを12歳のときに経験して知っているのです。ここには人生で大切なことがぎゅっと詰まっています。

小学6年間を無為に過ごした人と、目標に向かって精進してきた人とでは天と地ほどの差があるのです。

「この時間は本当は何かをしておかなかればならない時間なのではないか」
こういう漠然とした不安が小学生時代にずっとありました。

小6のとき40人クラスの中に2人だけ中学受験を目指している子がいました。彼らは勉強の出来が全然違いました。
長文を要約する方法もよく知っていましたし、算数の問題解きの速さもすごくて正確でした。

今思うと、やはりあのときに取り返しがつかない差がついていたのです。

その後私は二浪しました。

二浪しなければ得られなかった教訓ももちろんあります。
しかし、今社会人をやっている中で小学生時代のブランクはやはり埋められないのだと思っています。

「今から勉強すればいいじゃないですか」

というかもしれませんが、会社に勤めながら勉強するのは生半可なことではありません。時間がいくらあっても足りないのです。
そこで気づくのです。
「あの小学生時代にあり余っていたあの時間こそが勉強すべきときだったのだ」と。

大人はこのことを子どもに教えるべきです。
子どもはまだ経験していないからわからないのですが、わからないからといってそのままにしていていいわけではないのです。大人が教えてやるべきなのです。
それが大人の義務なのです。
それをしない大人が実に多い。言いたくありませんがうちの両親もそうでした。

人間は一度大人になったらもう子どもには戻れないのです。
だから大人は子どもに教えなければいけないのです。

「小学生時代の今が一番のびのびと勉強できるときなのだよ」
と。